Home > Text > Essay > ピーター・マレィ

Text

写真:意心帰

すべての季節と調和する彫刻


1987年11月のすがすがしい朝、ジェット・ムンドルフに連れられ、ジョルジョ・アンジェリの石工房に向かっていた。 そこで安田侃によって彫られた大きな白大理石の作品を目の当たりにしたが、その彫刻のスケールと迫力は11月の寒空を支配し、ノグチが以前述べていたように、まるで氷の中から切り出されたようであった。

程なく、安田侃はヨークシャー・スカルプチャー・パークを訪れることになる。グループ展「カラーラ、マッサ、ピエトラサンタの彫刻」に作品を出展するためであった。 18世紀のたたずまいを残し、長い歴史に裏付けられた素晴らしい景色が広がる彫刻公園に感銘を受けた彼は、取り巻く大樹と広大な緑の空間を深く記憶することになる。

その後、1994年9月から1995年春にかけて開催された、安田侃初のイギリス個展は、彫刻が季節を通して自然と語らい、絶えず変容する環境に調和することを教えてくれた。

1945年に日本で生まれた安田侃は、イタリアに居を構え、制作の拠点を異境に定めて27年が経つ。それゆえに安田侃のなかには東洋と西洋という異文化が共生する。 つまりは東洋の哲学と精神にのみ帰するものではなく、詩人ヒュー・マッグダイアミッドの「この石たちは星とともにある」といった、人類共通の概念に当てはまるものなのである。 だれもが別世界への鍵を持ち合わせる「イメージをとらえられる」、と信じる安田侃は、彫刻との出会い、そして対話を通じてすべての人々が別世界へ誘われることを願っている。 ガッレリーア・ダ・ラヴァッチョーネから運ばれた大理石が始めて登場したとき、まず目を見張ったのはその深い白さと石肌であった。 安田侃の繊細かつ自信に満ちた手によって制作された作品は、一見して季節の色、晩春の艶やかな緑、夏のキンポウゲの黄色、秋のさび色、 冬の氷のような白色─移ろうヨークシャーの四季に調和するであろうオーラを発していた。

すべての季節と調和する彫刻。この明白な順応性は、人との関わりにおいてもいえ、群衆の前ではいきいきと振る舞う彫刻は、一人を前にするときはあくまでも穏やかで優しく、観る者を悠久の世界へと誘う。 彫刻に内在する奥深さと多面性のコントラストは、クレア・リリーが展覧会の公式カタログで指摘したように、「侃の彫刻には合理的で実用的なものと抽象的で精神的なものとを融合する特質がある」からであろう。

展覧会では18点の作品が100エーカーを超えるさまざまな場所に設置された。個々の彫刻は独自の空間を与えられ際だち、訪れる人々は緑の空間を縫って彫刻を巡り、 子供たちは作品の周りを回り、もたれかかり、よじ登り、穴をくぐり抜けてたわむれるのだった。

この展覧会の神髄ともいうべき「意心帰」は、荘厳な1本のブナの大木の下に置かれた。美しい曲面に包まれた一塊の白大理石の作品は、 その滑らかな肌に移ろう公園のひと日をうつし、ゆるく弧を描く下部のすき間には、緑の芝生が一筋の線となってのぞいた。ブナの老木とふわりと浮いて寄り添う意心帰とのほのぼのとした調和は観る者を惹きつけ、 どの角度から見てもわくわくさせた。垂直と水平のフレームで構築された形態が対をなす「天モク」「天聖」は、18世紀のフォーマルテラスに置かれた。 格調高いテラスと共鳴し合う作品は、別世界への入り口を思わせ、古典的空間を強調するに十分であった。 また、光を屈折するアバタ模様の表面に、蝶やてんとう虫が羽を休める光景は、自然との融合を究極とする安田侃の思想の感性図であり、作品が醸す自然愛と人間愛の証でもあった。

ヨークシャー彫刻公園には安田侃の思い出が多く残った。英国の柔らかな風景に溶け込み、移ろう季節とともに折々に見せた彫刻の表情、そして、人々が喜び楽しむ表情と姿など。 彫刻と自然と人との見事なまでの調和は、まるで18世紀の公園の全体構想の一部であるかのようであった。彫刻が姿を消してしばらくの間、公園には空虚感が漂い、あのブナの老木も淋しそうだった。


ピーター・マレィ
ヨークシャー・スカルプチャー・パーク館長

1995


Page Top